旅に関する本をゼミ生が自ら選び、

書評を書いていきます。


書評

2013年11月21日 19:31

「新婚旅行は無人島」 箕田律子 草思社 1989

 この本は筆者が石垣島で生活するまで、また石垣島で暮らし始めてからの体験記。この本のタイトルである「新婚旅行は無人島」では、沖縄の無人島で2週間、サバイバル生活を送るという風変わりな新婚旅行の様子が描かれていた。無人島では日常生活ではありえない状況に何度も出くわすため、無人島での生活は、よりその人の人間性が出ると感じた。相手の本性を知るにはちょうどいいかもしれない。実際旅行中、筆者の夫であるみのちゃんの身勝手な行動や発言には腹が立ち、筆者が不憫で仕方がなかった。  私はこのようなサバイバル体験や、近くに歯医者や散髪屋がないような生活はしたことがなかったので本の内容が新鮮だった。しかし、東京育ちの筆者は耐えられたようだが、私は、筆者が送っていたような、いわば半自給自足のような生活は耐えられないと実感した。(宇野祥子)

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2013年11月11日 22:25

「日本列島を往く <5> 夢のゆくえ」 鎌田 慧 岩波現代文庫 2004

「『復帰の祭典』 その後」というタイトルのもと、この章は1975年、沖縄県本部町で開催された海洋博を中心に書かれている。本土復帰後の沖縄を絶好の場として、本土側と沖縄側の共同声明があがったことを機に開催された海洋博。開催にあたり、筆者は会場周辺の農民や地域住民らに密着した取材を行う。海洋博が終わり、13年経った1988年、当時の地域住民らの声を聴くため、筆者は再び現地である本部町を訪れる。国の政策として推進された海洋博は、沖縄の経済発展として大いに期待されていた。が、現実はそうではなかった。土地・農地を奪われたと怒りをあらわにする者、倒産し生計が立てられなくなったと苦しみを語る者…会場周辺の多くの住民が海洋博に対する不満を抱えていた。もちろん、海洋博開催が実現したことでインフラ整備、沖縄の観光産業への貢献は確かなものであったし、住民の中にもメリットであったと感じる者は多かった。筆者は沖縄の観光産業についての視点も含めながら、本土復帰前の「戦場の島」から戦後の「基地の島」、そして「観光の島」へとイメージを変化させるきっかけとなったのが海洋博であったと述べている。経済発展につながったことは明らかだが、そこには住民たちの多くの犠牲があった。この章は、まさに海洋博の真実を目の当たりにした章であったといえる。(石川愛梨)

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2013年10月22日 01:08

人の砂漠 ー視えない共和国ー 沢木耕太郎著 新潮社 昭和52年

与那国について、不法上陸や密輸など興味深い噂を耳にした作者が実際に与那国を訪れ、現地の人達と触れ合っていく中で様々な事に気付いていくという内容。実際に現地の人に話を聞いたりする場面などでは、島の人々の温かみを感じることができる。また、その話の内容は、当時実際に行われていた密輸によって起こった好景気の話や、台湾との関係性、沖縄が本土復帰するにあたり起こった島での様々な変化などとても興味深いものばかりだった。まるで、1つの国であるかのような与那国を目の当たりにし作者は色々な思いを馳せる。 (島袋 亜生)

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2013年10月18日 17:35

「沖縄・先島へのみち」 司馬遼太郎 朝日新聞社 2005

『沖縄・先島への道』は、沖縄を訪れるのが四度目だという著者が、前回や本土復帰前に訪れた時との町並みの変化や、旅行中に出会った人々との会話を、書物で得た歴史や文化などの知識を織り込みながら話を進めていく。その知識は膨大で、沖縄出身の私が初めて知ることも多く、文章からはきっと沖縄のことが好きなのだろうなと伝わってくる。これほどの知識があると、旅行もより深く楽しめるだろう。是非他のシリーズも読んでみたい。(国場智海)

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2013年10月18日 14:05

「日本列島を往く <1> 国境の島々」 鎌田 慧 岩波現代文庫 2000

1979年、沖縄県は石垣島東部に位置する白保集落の沖合の海を埋め立てて新石垣空港を建設する計画を発表した。この新石垣空港は今年3月に開港し話題をよんだが、その位置は白保集落沖合ではなく、白保北部の陸上にある。白保集落の住民達を中心として、美しい白保の海の埋め立てを回避すべく、反対運動が巻き起こった結果、計画予定地が海上から陸上へと変更されたのだ。このことは日本だけではなく世界的にも注目され、著者の鎌田氏は白保集落の住民の生の声を聴くために、実際に石垣島へと足を運ぶ。白保集落の住民の口から語られるのは、海へ対する強い想いだった。昔、耕地の少ない波照間島から生活の場所を求めてサバニに乗って白保へやってきた祖先達を見守ってきた海、戦時中の食糧難の時代に命をつなぐ為に獲った魚、戦後空襲によって崩壊した家々を復旧する際赤瓦の漆喰として利用したサンゴ・・・。白保集落の住民は海と共に生きてきたのだ。その海を埋め立てて、新石垣空港を建設することは住民にとっては許せないことだということは容易に想像できる。しかし、鎌田氏は住民が空港建設に反対するもう一つの理由に気づく。それは戦争の苦い記憶である。戦時中、石垣島には3つの軍事飛行場が建設されたため、酷い空襲を受けた。さらに、千人墓と呼ばれる祖先の霊を祭る場所から骨を取り出し、その場所に日本軍の防空壕を作らされ、祖先の骨は軍の人達によってどこともなく持っていかれてしまった。祖先を大事にする沖縄の人たちにとって、このことは大きな怒りを生んだ。また、空襲やマラリアによって引き起こされた家族の死や、特攻隊として帰って来ることのない空へと飛び立っていく青年たちの姿など、白保集落の住民の心の中には、戦後30年以上経っても戦争の記憶が色濃く残っていたのだ。その白保に新石垣空港が建設される。そして滑走路をV字に配置する計画が、新空港が軍事的に使われるのではないかという住民達の不安の種となったのだ。新石垣空港の建設予定地が海上から陸上に移ったことで、新石垣空港建設問題に休止符が打たれ、世間の注目も次第に薄れていった。しかし場所が変わったところで、V字滑走路であることに変わりはなく、白保集落の住民一人一人の心の中にある戦争の記憶は無視されることとなった。新石垣空港ができたおかげで、観光客がより足を運びやすくなったのは事実だが、その裏にある戦争への想いを忘

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2013年10月17日 21:10

「日本列島を往く <4> 孤島の挑戦」 鎌田 慧 岩波現代文庫 2003

海どう宝・石垣島  この章は筆者が新空港の建設に反対している人たちに会ってみたいということから、新空港に反対する人々の意見、建設反対の動きについて書かれていた。 「空港を建設すると自然がなくなり、自然を求めてやってくる観光客を失う」という、「空港」よりも「サンゴ礁」が大事だ、と自然を守ろうという意見だけでなく、「島を食い物にし、農業の衰退、漁場の破壊、精神文化の荒廃」を思案する声、さらには、空港の予定地は地元の人たちが神港としている聖地であるため、「そこに無理に作れば大きな事故が必ず起こる」など様々な反対意見が載せられていた。反対をしている人たちに会ってみたいということだったので賛成意見は少ししかなかったのだが、その中で空港建設予定の白保地区は石垣の少数派であり、白保がどうなっても石垣が発展すればいいというのが島の多数の意見であるようで、「自然は経済の犠牲になってもいい」という持論を持つ市長もいた。   筆者は、これまでの沖縄のサンゴの壊死を考えれば白保の海を守ることは自然破壊の重要な歯止めであり、世界の環境保全にもつながる問題であると最後に述べ、反対意見を示していた。これだけの反対運動があったにもかかわらずなぜ空港はできたのだろうか。(宇野祥子)

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2013年07月04日 21:31

「暴かれた9.11疑惑の真相」 ベンジャミン・フルフォード著 扶桑社 2009

 2001.9.11 イスラム原理教主義組織「アルカイーダ」による航空機ハイジャックが行われたうえ、米ニューヨークにある世界貿易センタービルに追突。貿易センタービルが崩壊し、多くの人々が命を落とした忌まわしい事件が起きた。この事件は当時世界に衝撃を与え、今日でも悲しまれるテロである。「アルカイーダ」がテロを計画し行った、ということが通説であるが、本書は実は米政府がすべて企んでいたと痛烈に米政府を批判した書である。  貿易センタービルに追突した航空機のエンジンはすべて焼け焦げてしまい跡形もなくなってしまったというのに犯人のパスポートは見つかる、ハイジャックし航空機の爆撃とともに死亡したはずの犯人が元気にサウジアラビアで生きているなど、他にも多数とても辻褄が合わない事実を暴いている。たしかに、本書を読むとおかしいと思わざるを得ない節が多数あるのだが、しかしなぜ米政府がわざわざこのような大がかりでそれも自国民を殺してまでテロを起こしているのかという根拠があまりにも少なすぎる。アフガニスタンの油田の利権が欲しかったということだけでは根拠として弱すぎるのではないかと私は思えた。根拠を暴いていればもっと読み応えのある書であっただろう。(宮良丞)

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2013年06月30日 23:10

「南へ下る道」 岡崎祥久 講談社 2002

 北海道から東京までのバイク一人旅と、東京から鹿児島までの夫婦ドライブの二本立て。後半の夫婦の、夫が旅の途中で自分の納得のいかないことがあり、ふてくされているのを半ば呆れながらもなだめている妻というやりとりが印象的だった。間の抜けた登場人物のせいか、なかなか壮大な旅をしているはずなのにちょっとした旅(県をまたぐくらいの)のように感じられ、気軽にそれほど時間も取らずに読むことができる本だと思う。(宇野祥子)

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2013年06月29日 13:52

「風をつむぐ少年」 ポール・フライシュマン あすなろ書房 1999

 『風をつむぐ少年』は、『種をまく人』の作者で有名なポール・フライシュマンの作品であり、交通事故をきっかけに旅に出ることになった少年の姿を描いた物語だ。主人公は16歳の少年、ブレント。物語は、父親の仕事の都合で転校したブレントが、新しくできた友達からパーティーに誘われることから始まる。新しい土地で“うまく”やっていこうと考えていたブレントだが、そのパーティーで恥をかかされ、さらに、気になっていた女の子にふられてしまう。自暴自棄になったブレントは自殺を考える。酔ったままで車に乗り込み、対向車線の車と事故を起こすのだが、その事故で死んだのはブレント本人ではなく、対向車線を走っていた車を運転していた少女リーだった。保護観察になったブレントは、リーの母親と面会するのだが、リーの母親はブレントを責めなかった。代わりに“アメリカ大陸の4隅に風車をおくこと”を約束させたのだ。最初はその意味がよく分からないままアメリカ横断の旅に出たブラントだったが、登っては沈んでいく太陽を眺め、人と出会い、風車を立てていくなかで自分を見つめ直し、周りの目ばかり気にしていた過去の自分と決別していく。この物語の面白いところは、ブレントが立てた4つの風車が、それを見た四人の心を動かすシーンも描かれている点だ。恋の予感を感じた少女、職を失い傷ついた男性、バイオリンの練習が嫌いな男の子、孫に生きる喜びを教えようとする老婆。別々の場所に立つ4つの風車は、見た人によって違うメッセージを放つ。一人の少女の死から始まった旅が多くの人の心を動かしていくこの作品は、登場人物だけでなく、読者の心にも変化をもたらすだろう。私自身、物語を読み終わった後には、何か新しいことに挑戦してみようかと考えたほどだ。もっと多くの人にこの作品を読んでもらい、ブレントの旅を通して、それぞれが自分なりにメッセージを受け取ってくれればと思う。 (外間香織)

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2013年06月21日 16:01

まさお君がくれたもの -旅いぬ・まさお君が届けてくれた笑顔、元気、おっきな愛- 講談社MouRa=編 (株)講談社 2007年

 『まさお君がくれたもの』は、旅いぬ(まさお君)と旅人(松本さん)、そして地域の人々やテレビを通じて出会うファンなど全員の、まさお君への愛情がつまった“旅いぬの生涯本(感謝本)”である。旅が始まるきっかけや旅中でのエピソード、なにより所々に含まれたまさお君への追悼の手紙や思い出の写真から、まさお君と人々との「強い繋がり」を感じ取ることができる。旅とは、旅人の思い出のみが残るのではなく、「旅を通して得られる人々との交流や体験が感動や笑いを生み、周囲にも影響するもの」である。この旅の主人公は「まさお君」であり、旅の楽しさを表現する手段として、言葉以外の「表情や行動」で示している姿は、「旅の対象=人間のみ」という私の考えを変えた驚きの発見であった。(豊見山佐妃)

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