
「日本列島を往く <5> 夢のゆくえ」 鎌田 慧 岩波現代文庫 2004
2013年11月11日 22:25「『復帰の祭典』 その後」というタイトルのもと、この章は1975年、沖縄県本部町で開催された海洋博を中心に書かれている。本土復帰後の沖縄を絶好の場として、本土側と沖縄側の共同声明があがったことを機に開催された海洋博。開催にあたり、筆者は会場周辺の農民や地域住民らに密着した取材を行う。海洋博が終わり、13年経った1988年、当時の地域住民らの声を聴くため、筆者は再び現地である本部町を訪れる。国の政策として推進された海洋博は、沖縄の経済発展として大いに期待されていた。が、現実はそうではなかった。土地・農地を奪われたと怒りをあらわにする者、倒産し生計が立てられなくなったと苦しみを語る者…会場周辺の多くの住民が海洋博に対する不満を抱えていた。もちろん、海洋博開催が実現したことでインフラ整備、沖縄の観光産業への貢献は確かなものであったし、住民の中にもメリットであったと感じる者は多かった。筆者は沖縄の観光産業についての視点も含めながら、本土復帰前の「戦場の島」から戦後の「基地の島」、そして「観光の島」へとイメージを変化させるきっかけとなったのが海洋博であったと述べている。経済発展につながったことは明らかだが、そこには住民たちの多くの犠牲があった。この章は、まさに海洋博の真実を目の当たりにした章であったといえる。(石川愛梨)
—————